村田選手の有終の日に。。。(最終回)



試合開始10分前小山運動公園球場に到着しました。
いよいよ、今日が最後。。。と胸が詰まる気持ちでした。


球場周囲にはたくさんの村田選手への
想いに溢れる飾りがありましたね。栃木でも
多くの人達が村田選手が来てくれた1年を大切に思えているんだ
ろうなと思えていました。


タクシーの運転手さんが伝えてくれたのは
朝から九州やら大阪などからもなんども
駅と球場を往復しているそうですね。村田選手の
最後を見届けに栃木に来たファンが集結のようでしたね。


巨人には複雑な気持ちがあり、
アンチ巨人に戻りたい自分だったのですが、

巨人の同僚の選手たちの今の状況でできる
感謝が伝わるWe Love Shoのサヨナラボードに
そんな恨み言も違うかなと思えていました。

この日、限定の
村田選手グッズを買おうとしている時に
声かけてくれたのは東スポの記者さん

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ドラマ「コウノドリ」のリアル“今橋先生”が
で話を聞いてくださった記者さんでした。

上記の記事のお礼や今シーズン
ずっと村田選手の気持ちを伝え続けてくれたことに
感謝をお伝えしました。



の記事を書いてくださった毎日新聞の記者さんにも会いました。

村田選手の今年を追い続けていた記者さんたちにとっても
寂しいこの人いう1日だったと思えました。



超満員で球場外にも観戦シートが設置されていた
この日。



座れないかなと思う状況、
立ち見でもいいかなと思える状況でしたが、
じゅんちゃんのママさん、自分を
見つけてくれて(多分、待っていてくれたのかな、、、
と気を使ってくださった子を申し訳なく感じつつ)
村田家の皆様の座席に自分も
混じらせていただき、超満員、自由席の
球場で村田家の皆様と共に観戦していました。

じゅんちゃん、こうちゃん、えいちゃんと
それぞれこども医療センターからお家に帰られていった
3兄弟と
パパさんのプロ野球選手としての最後の1日を
一緒に観戦できることを感慨深く感じました。
それぞれの誕生やご家族に加わる様子を
思い出します。家族の節目を知る
周産期医療なんだと思えます。

中学生になったじゅんやくんの学校の話、
公式戦で初ホームランという動画を見せてくれた
こうちゃん、言葉をたくさん話すようになった永ちゃん
自分たちが担当して来たご家族の今を改めて
心温かく拝見していました。

3人ととも、子供なりにパパさんの最後の日を
理解してそれぞれに応援している姿を切なくも
頼もしくも感じていました。

自分は3兄弟の一つ前の座席で村田選手の父母様
共に観戦していました。前回来た時はじゅんちゃんの
ママさんの父母様と楽しく観戦して、今回はパパさんの
父母様と楽しく観戦させていただきました。
それぞれの立場から村田家を共に応援していた
人たちと再会でした。



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じゅんちゃんの祖父様、祖母様として
半年間,NICUで何度なく言葉を交わしたお二人と久しぶりに
お話をしながら観戦でした。

村田選手が息子として語っていた言葉をたくさん聞かせてもらえて
嬉しかったし、お孫さんのこと、NICU卒業生ご家族としての村田さん、
NICUを支援して来た村田選手のこの10年間を改めて村田選手の
父母様に直接伝えられて印象深い1日でした。

村田選手の父母様は繰り返し、
「じゅんやのことがあったから息子は成長した。
だから息子が野球選手として16年間も頑張れたのは
じゅんやとNICUの皆様のおかげ」と繰り返し、
じゅんやくんと自分に伝えてくれていました。

こういう声かけをNICU卒業生にしてくださる
祖父様や祖母様は子供達の自信を高めてくれるなあと
思いながら祖父様の言葉を聞いていました。


この日、入場者全員に配られた村田選手応援ボードです。
聖隷浜松の杉浦先生が作ってくれたNICU野球親睦会の応援ボードも
持参していたのですが、敢えて違うボードを配るより、この黄色い
ボードを掲げて混じるのが大切かなと思えてそうしました。


1打席目の村田選手、キャッチャーへのッファールフライで
アウトになったのですが、自分の周辺の村田選手を応援し続けた
人たちは「空気読んで落として欲しかった?」と言いつつ、
そういえば、「鈴木健選手の時は落として批判され、
佐々岡投手の引退の時はホームラン打って批判されと
あったなあ」と皆で昔話に花が咲きました。

村田選手の野球人生に寄り添って来た人たち
そして、村田選手の引退試合で送られる日が来たことを
改めて皆で実感していた気がしました。



NICU卒業生のいろはくんとパパさんに出会いました。
500gで生まれたいろはくん、村田選手が大好き、
野球が大好きな少年に成長しています。



車で家族で来たというあゆくんご家族、車椅子だと観戦が
少し大変なこの球場でしたが、気づいた村田選手がグラウンドの
関係者席のようなところに導いてくれたということ。

心寄せてくださる村田家の皆様のフラットな感じが自分は
いつも尊敬を感じました。


サードに守備する村田選手をバックにじゅんちゃん兄弟、
あゆくん兄弟で記念撮影。


以来のあゆくんのお兄ちゃんともパパさんとも会えて
嬉しい時間でした。

NICUの同期のあゆくんとじゅんちゃん、
NICU卒業12年後に家族一緒に野球を応援している
時間を讃えたいと思えていました。


グラウンド最前列であり、
あゆくんには村田選手が選んでこの場所で見ているんだよ。
あゆくんが頑張って来たのを知る村田選手だから。。。

NICU卒業生の代表のつもりで
ここに来れない人たちの文まで
一番前で声援してきてねと
伝えたこの日でした。



祖父様の隣に戻って
村田選手が祖父様に伝えていたという言葉を聞きました。

「人間は育てるものではない、育つものなんだと栃木で学んだ」
という村田選手の言葉が天啓に思えました。
村田選手もいつも素敵な言葉を話すなと
節目節目で感じていたのですが
そのルーツを感じた気もしました。

「野球選手を育てようとして育つものではない。それぞれが自分で
育つような姿勢を身につけるのが大切で、栃木で自分がプレーをしながら
伝えたかったし、聞きに聞けば教えた。育てようとして教えすぎても
人は成長しないかも。。。」という言葉が
村田選手はこの1年間、プロ野球と異なる環境で野球を頑張る
若者たちに混じって指導者として
大切な何かを得たのようにも思えていました。



で後輩選手が
「昔はプロ野球に行きたいというのが目標だった。
村田選手と出会って野球をもっとうまくなりたいと目標が
変わった」という談話と通じるような気がしました。

村田選手が凡退するけど後続が打って点が入る様子に
村田選手のお父さん
「修一が打たなくても点が入る打線になったこと、
それが一番なんだ、それそれで修一の教えた選手達の
成長なんだ」という言葉に
すごく共感していた自分でした。

自分がいなくても大丈夫なチームができつつあるとしたら
それはそれで村田選手の役目があったからこそなんだと思えて
医療チームにも通じる格言に思えました。


自分も祖父様も幸せな村田選手の最後の時に思えていました。

多くの野球選手、だんだん出番がなくなり、最後に少しだけでて
引退の日を迎える中。村田選手はこの1ヶ月間、これまで
行かなかったような各地の野球場で村田選手のファンに
囲まれながらフル出場を続けて、多くのファンと惜しまれたり
交流しながらの1ヶ月。こんな時間を送った
プロ野球選手はきっと少ないと思えます。


お祭りのような球場、


最後の日にベイスターズ、ジャイアンツ、ゴールデンブレーブスの
青、白、オレンジ、金色の様々な応援ユニフォームでも皆、
25番の背番号つけている球場で普段通り野球をして
有終を迎える村田選手の野球人生の有終を寂しいけど
幸せな姿にも思えていました。

東京ドームや浜スタで引退試合よりも
より近くで大切に思う人に囲まれながら
最後の試合を送る村田選手を幸せな最後と
思えていました。

7回の打席、
いつもは動画は撮らないので、写真しか撮らないのですが
不思議に動画のボタンを押したときに
最後のヒット、これも天啓に思えました。

最後のヒット?にわくスタジアム。
最初の1本は桑田投手だったそうで最後の1本を
目の前で観れて一生忘れないだろうなと思いました。

村田選手のところに打球が行くと皆
わくし、平凡な打球でさえ、チアな感じです。
エラーできないような状況かもしれないけど
村田選手の1プレイ1プレイを心に刻む
終盤のスタジアムでした。

最後のヒットを見れて終わりかと思いきや
同点に追いつかれ、
9回サヨナラの場面で再度、村田選手に回って来た
打席。

野球の神様?ドラマ?を感じつつ、

さよならホームランを期待!!!!
でした。

結果は、内野ゴロで併殺打になりそうになり、
「最後は併殺打?」と皆で心配しつつ、
ホームランも村田選手だし、併殺打も村田選手だなと
内心思えていました。

一塁セーフ、ランナーとしてさよならホームインなら
カッコよすぎると皆で期待しましたが
8-8のまま試合終了。


期待することが本当は楽しい。。。
願う間が幸せ。。。

ドラマや漫画のように実際は行かない、
それが野球で、それも人生かなと思えていました。



活躍したり、批判されたりしながらも力強く16年間
野球をしていた村田選手を讃えていた場内でした。


生きていく限り、これで良かったと満足ばかりではないのが
人生だけど、これが悪かったとも思えない時間を過ごせることが
人の幸せなようにも思えていました。
そんなことを感じる試合でした。

試合の後は最終戦のセレモニーを経て、
村田選手の特別セレモニーです。


巨人の阿部選手や坂本選手からのメッセージに
社交辞令でない熱さを感じ、
同期の実松捕手の
「最高の三塁手、最高のスラッガー、最高にいいやつの
村田修一とともに野球をできて幸せだった」という
メッセージに涙が流れました。


恩師の大矢監督の挨拶
「日本人の4番打者、ホームラン王を育てたかった自分の
夢を叶えてくれてありがとう。」
「野球人生は終わるけど、人生はまだ半分終わったくらい、
これからの人生を村田選手らしく生きて欲しい」というような
言葉も素敵でした。

村田選手の引退スピーチ

村田選手の挨拶は
ついにこれまで言葉にしなかった
「今日で引退します」という言葉を聞き、
今までありがとうございましたと思えていました。
残念より<出会えたことに感謝がこみ上げる時間>でした。

村田選手は家族それぞれに
感謝のメッセージを伝えていました。
息子さんそれぞれにそれぞれの
性格や状況に合わせたメッセージでした。
じゅんやくんに
「じゅんや、お前が未熟児で生まれ、
色々なことに頑張った来たことで
お父さんも頑張ろうと思えた。
お前の頑張りのおかげでお父さんも頑張れた」
という涙ながらの言葉に感動していました。


自分たちがNICUで守りたかった未来を
目の当たりにしつつ、村田家の皆様からたくさんの
気づきをもらったと感謝でした。


村田選手がプロ野球選手でなくなろうと
NICU卒業生のご家族の希望の光であることには
変わらないし、これからも村田家の皆様を応援したいと
思えた自分でした。


気を遣ってくださる村田家の皆様なので
最後は家族で過ごしてもらえたらと思えて、
セレモニーの終了直前で帰路につきましたが
忘れられない村田選手の引退試合をともに過ごさせて
いただきありがとうございました。



このブログを読んできてくださった皆様、
それぞれに村田選手へのメッセージなど
コメント欄にお寄せくだされば、きっと
読んでくださると思います。



ご意見ご感想などお寄せくだされば心強く感じます。

下記にクリックしてくだされば幸いです。
  






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Posted byNICUサポートプロジェクト

Comments 14

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かほおやぢ  
No title

かほおやぢです。
村田選手16年間本当に、本当にお疲れ様でした。
当時低迷していたベイスターズで1番のスター選手だった村田選手が大好きでした。
巨人に移籍しても村田選手だけは応援していました。
その村田選手に実際にお会いさせて頂き、娘に「がんばれよ!」と元気づけて下さったこと、親である自分達に対しても「そのうちうるさいくらい元気になるから」と励まして下さったことが大切な思い出になっています。
家の写真ボードには今でもその時の写真が飾ってあります。
書きたいことがありすぎて、なんだかわからなくなりそうなので、もう書くのやめます笑
1番言いたいこと!
この先一生、好きな野球選手は誰ですか?1番尊敬する人は誰ですか?などの質問を受けたら、迷わず
村田修一選手です!
と家族全員が答えるようにします!
村田選手、たくさんの感動をありがとうございます!
これからも応援させて頂きます!

かあさん  
No title

涙が出てきます。また1人愛される選手が去っていった…。
息子さんが小さく生まれたことで村田選手を知りましたが、その頃は野球選手としてはあまり好きではなかったかな。(失礼)
ここ数年いろいろなニュースやドキュメンタリー番組を見ていて、このブログに出会って知れば知るほどどんどん惹かれていきました。
野球選手としてよりも、1人の人間として、1人のお父さんとして。
これまで自分が応援されてきたように、これからもたくさんの子どもたちと家族を応援していくんだろうなと思います。
そんな村田選手を、私は応援したいです。

あっちー  
No title

こんばんは。気遣ってひっそりと球場を後にしたところが、先生の優しさを感じました。
先生が帰られた後ですが、いつも行ってきた入口での首脳陣・選手とハイタッチでの見送りの代わりに、昨日は首脳陣→投手陣→内野手陣→捕手・外野手陣の順で、全員(村田選手含む)でのトークショーが行われました。村田選手と若手選手との間の暴露話などもあり、「村田節」炸裂で笑わせてもらいました。
なお、試合中の守備で倒れ、おぶさって途中交代となった外野の高野選手、足をつっただけとのことで大事には至らず良かったです。

きょうちゃん  
No title

4年前の5月、NICU野球親睦会の対広島戦に参加させて頂きました。
芽依はもちろん、お姉ちゃんも私も初めての球場での野球観戦。テレビで見るよりずっと面白く、芽依は球場の賑やかな雰囲気を楽しみ、お姉ちゃんも夢中になって応援していました。生まれてNにいた頃や、2歳でICUに入っていた頃は球場で野球観戦が出来る日が来るなんて夢にも思わなかったので、とても感慨深かったことを覚えています。
小山には姪っ子甥っ子が住んでいるので身近に感じる土地で、会いに行くついでに応援しに行けると良いなぁと思っていました。お姉ちゃんの塾通いが始まり、結局行けずじまいでしたが。
引退とのこと、とても寂しいです。本当に本当にお疲れ様でした。家族全員ずーっと村田選手のファンですし、これからも応援しています。村田選手とご家族の健康と、これからのご活躍を祈っています。ありがとうございました。

M  
No title

初めてコメントさせていただきます。
我が家は昨年のNICU観戦会にご招待いただきました。
重症新生児仮死で産まれ、NICUのお世話になった次男が、ちょうど1歳の誕生日を目前に控えていたときのこと。
まだ発育の遅れが目立ち、不安でいっぱいの頃だったので、当日観戦会で同じようにNICUでの日々を経験し、いま笑顔で過ごしていらっしゃるご家族を見て、どれだけ励まされたことか。
たった1日の出来事でも、深く胸に残っています。その節は本当にありがとうございました。
以来、このような機会を設けていただいた村田選手へ、感謝の気持ちと共にご活躍を応援してきました。
まだ早い引退を惜しむ気持ちはありますが、これからのご家族の日々が恵みに溢れたものであることをお祈りしております。

ひなパパ  
No title

村田選手、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。村田選手がお子様からもらったように、村田選手、そしてご家族から沢山の勇気をいただきました。
今回、ひとつの区切りですが、新たな場所でも、変わらず、大きな背中を見せてくださると確信しています。心から応援しています。
豊島先生、当日は行けませんでしたが、豊島先生のブログのおかげで、まるでその場に居たかのような感覚になれました。涙がこみ上げてきました。とても貴重なご報告ありがとうございます。心より感謝いたします。

t62*****  
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村田選手16年間お疲れ様でした。
幸せな時間をたくさんいただきました。ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。最後の日、栃木に観戦に行くことができて本当に良かったです。家族みんなで村田選手の勇姿を目に焼き付けてきました。
セレモニーでは家族の強い絆を感じる村田選手の言葉でした。村田選手のこれからのご活躍とご家族との幸せな時間を心から願っています。

NICUサポートプロジェクト  
No title

> かほおやぢさん、 きょうちゃんさん、 Mさん、あっちーさん。きょうちゃんさん、ひなパパさん、 t62*****さん、 rik**anmenさん、皆様それぞれに村田さんへのお気持ちを伝えてくださり自分も大変うれしく感じました。積み重ねてくれた想いは決して消えないし、感謝を忘れずこれからも生きていきたいですね。それぞれにありがとうございました。

aat*****  
No title

いろはっちです
村田選手お疲れさまでした。10年前、いろはが500グラムもない小さな体で生まれ、心が折れそうな時に村田選手のことを知り、じゅんや君のことを知り、それから今まで村田選手の活躍とじゅんや君の成長がとても励みになりました。野球親睦会もベイスターズ時代から何回も招待していただき、いろはがまだ小さい頃はそこで出会う先輩家族に、うちもこんな風になれるかな?と未来を想像してみたりNICU卒業生家族との交流もとても励みになりました。
9月9日は球場に応援しに行きました。村田選手のグッズも買いまくりました。試合中相手チームのホームランボールでしたが、いろはの真後ろの植え込みに飛んできたのでゲットできて、いろはにとっては村田選手の最後の試合応援記念ボールとなりました。セレモニーでの村田選手の言葉は涙涙で聞きました。皆に愛のこもった言葉、改めて素敵な御家族だな~と感じました。村田選手には感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の励みをいただきました。ありがとうございました。そしてこれから先もずーーーーっと応援しています。

aat*****  
No title

いろはっちです
続きです
9月9日当日、6000人以上いるこの球場で、さすがに豊島先生に出会うのは難しいよね、、、今日は会えないかもね、と話していたのですが、主人といろはが飲み物を買いに行ったところで会えたみたいで、いろはが『奇跡が起きたよ~!豊島先生に会えた~!先生が声をかけてきてくれた~!』とニコニコ笑顔で席に戻ってきました。球場に入れない人が出るほど沢山の人がいる中で会えてとても喜んでました。私は会えなくて残念でしたが、、、ホームランボールをゲット出来たり豊島先生に偶然会えたり沢山の奇跡の1日となりました♪

ひーちゃん父  
No title

おはようございます。
まずは村田選手本当にお疲れさまでした。
村田選手の引退………その事のショックと言うか気持ちが抜け殻のようになってしまい
お疲れさまも今ごろになってしまいました。
村田選手すいませんでした……
最後の試合も都合が合わずに残念でしたが
村田選手がファンだけではなく
野球関係者からも愛されていたのが本当によく伝わってきました。
当日帰宅してからスポーツニュースのはしご(笑)をしました。
村田選手のスピーチも聞いて涙が出てきました。
このblogとほぼ同時に生まれたひーちゃんも今は元気に小学校に通っています。
村田選手、そして先生が立ちあげてくださったこのblogを通じてたくさんの皆さんと交流が出来、私たちの励みにもなりました。
村田選手、まずはゆっくり休養をしてください。
そしてこの先また野球界に戻ってきてもらいたいと思っています。
最後に重ね重ねですが村田選手、先生、そして病院、球場、このblogなどで出会った皆様
本当にありがとうございました。
これからもまたよろしくお願いします。

ひーちゃん父  
No title

さて、今通勤の電車の中なのですが(笑)
あっちーさんもおっしゃっていたように
9月28日
東京ドームで村田選手の引退セレモニーが行われるような記事かありました。
しかも相手は古巣のベイスターズ
あっちーさんのように
なんだか複雑な思いではありますが
ただ
村田選手の人柄のよさが
こういった形で出たのかな?
と前向きに考えよう思っています。
出来ればユニフォーム姿で試合に出て欲しいですが
それは難しいのでしょうね…………

みどみど  
No title

大変遅くなりましたが、村田選手おつかれさまでした。横浜スタジアム・東京ドームと何度も親睦会に招待してくださり本当にありがとうございました。第1回親睦会の時は、まだ小さかった美緒ですが、今では特別支援学校の中2になりました。親睦会で皆さんに、お会いするたびに子供たちの成長を嬉しく感じました。実は8月後半に村田選手にお礼を伝えたくて練習日に栃木へ行ってきました。残念ながら村田選手は参加されてなく、お会いすることは出来ませんでしたがチームメイトの方が声をかけてくれてので伝言をお願いしてきました。
9日のスピーチを動画でみましたが村田選手らしい素敵なスピーチで感動しました。そして本当に素敵な御家族だなぁ…と改めて思いました。最後まで愚痴を言わず好きな野球を続け、引退を決意した村田選手に色々な、ことを教わった気がします。本当に感動をありがとうございました。
そして、また野球ファンに戻れそうな気持ちになりました。親睦会で知り合えた皆さんとも、またお会い出来たら嬉しいですね。そして豊島先生、いつもありがとうございました。また浜松へ来られる時は声をかけて下さい。

あっちー  
No title

> ひーちゃん父さん
おはようございます。コメント引用していただきありがとうございます。
9日のセレモニーを見届けた一人としては、巨人側の対応に今更感が否めません。28日のゲームも、元々は金沢だかどこかの雨天中止振替分の割り当てで、いかにして観客を呼べるかという球団の魂胆が見え隠れしています。
救いなのが、セレモニーの企画が球団主導でなく選手有志によるものということ。それだけ同僚に慕われていた証拠ですね。ああいう形で巨人から出て行かざるをえないことになったので、本来居るべき場所で改めてセレモニーができるのは有難いことなのかもしれません。小山は無理だったけどドームなら、というファンやNICU卒業生の方も多くいらっしゃるでしょうからね。ただ、村田さんの心境は複雑だと思います