約束の場所  (ルポにっぽんのその後2)

昨日、書いたブログ記事に青森県立中央病院
の網塚先生がコメントをくださったので、その流れで
続きを書きます。

現在も青森から川村先生が2年間の予定で神奈川で一緒に働いてくれていますが、
下記の「ルポにっぽん」から連携が深まった青森県立中央病院ー神奈川こども連携
だと思いました。お互いにそれぞれの問題を共有し、連携しながら解決しようとしてきた
この5年間だったようにも感じます。ルポにっぽんの取材を受けるときに網塚先生も
私も社会の批判や愚痴ではなく、自分たちが周産期医療の現場で感じていることを
伝えようと話し合っていたと思います。この報道は自分たち自身のきっかけに
なった記事かもしれません。この記事を密着取材しながら書いてくださった
武田記者に改めて感謝を感じた昨晩です。
記事読みづらいかもしれませんので、写経のように
書いてきました。

今、NICUにいる人たちも5年前だったらどうだったろうと
想像しながら読んでもらえたらと思えました。感想もお待ちしています。

これを書き写しながら、5年前に比べてベットも人も増えた。。。
時間は出来たと改善をたくさん実感しました。

一方、自分自身はこの頃のような必死さを今持っているかな?
と思えたり、増えたベットの活用や人財の育成などにまだまだ課題がある
周産期医療かなとも思えたりもしました。


朝日新聞(2008年11月23日)
「ルポにっぽん」

ベット不足お産綱渡り
 朝6時、PHSが鳴った。豊島勝昭医師(39)が素早く出た。
「29週?心臓の病気かも。こちらは大丈夫」   
11月の日曜。横浜市南区にある神奈川県立こども医療センターの新生児集中治療管理室(NICU)の宿直室。

 産科の当直医からの電話だ。
 同県横須賀市の病院が切迫早産の妊婦の受け入れを求めている。
赤ちゃんは心臓と気管に病気があるようだ。NICUに入る可能性が高い。

ベッドはあるか。その確認だった。  「慌てず、急いで」
人工呼吸器を準備する研修医の肩を、NICU勤務10年目の
豊島さんがポンとたたいた。    

1時間後、妊婦が救急車で到着した。

子宮口がすでに8センチ開いている。分娩(ぶんべん)室に横たわる
妊婦に夫が付き添う。

「今日は受けられて良かった。
2週間前なら難しかった。無事に帰れるよう全力で頑張ります」。
豊島さんの説明に妊婦はうなずいた。

  病院に次々と受け入れを断られた東京都の妊婦が死亡したと報じられたばかり。
「ここに来られて良かったな」。夫の言葉に、妊婦の目から涙があふれ出た。
夫は運悪く受け入れてもらえない人たちにも思いをめぐらせ、
「やるせないね」と言った。

  県内には、リスクの高いお産を診る総合周産期母子医療センターが
ここを含めて4施設、地域周産期母子医療センターが12施設。

NICUは計149床あるが、ベッドが足りず、年間70人以上の妊婦
が東京など県外に搬送される。

  一呼吸置いて、豊島さんが告げた。
「落ち着いたら他の病院に移ってもらうかも知れません。
次の人に譲ってあげてください」。

夫は「そうしないと回らないんですよね」とうなずいた。  

 こども医療センターにはNICUと回復後に入る病室(GCU)
で計43床ある。NICUに入る可能性が高い赤ちゃんを出産しそうな妊婦が、
院内の産科などにこの日6人。症状を確認し、安定した赤ちゃんの両親に説明を
重ねて移ってもらうなどし、何とか6床確保してあった。

  豊島さんは「今日は外からの搬送依頼は2件が限度。あと1件」と言った。
使命感と能力の限界とのはざまで、現場はもがく。  

 少し落ち着いた午後、豊島さんが言った。
「子どもを大切にしない国に未来はあるのかと思う。
だから前を向いて頑張りたい」

  午後3時、今度は横浜市の産科医院から新生児の受け入れ要請。
38週で生まれ、体重2200グラム。呼吸は安定しているが、血糖値は低い。
ただ、ここで受け入れれば、次の子は難しくなる。
 当直のNICU5年目の小谷牧医師は受け入れを見合わせた。電話で搬送先を探し、
2カ所目で見つかった。「ありがとうございます」。小谷さんはほっとした表情を見せた。

  深夜0時過ぎ。早朝に受け入れた妊婦の出産が始まった。妊婦の息づかいは荒い。
当直明けの豊島さんと小谷さんは、分娩室の隣の新生児蘇生観察室で待機した。  

 ところが、そのころ、県内の病院から別の新生児の受け入れを求める電話が入った。
先天的に腸管が閉じていて、他の病院では対応が難しい。
手術が必要だが、緊急性は低そうだ。
小谷さんが「分かりました」と答え、最後の1床が埋まった。
こんなぎりぎりの光景が日々繰り返される。

  次の瞬間、生まれたばかりの赤ちゃんが分娩室から運ばれてきた。
「オギャー」
女の子。母親の処置が続く分娩室からも歓声が上がった。

呼吸の度に赤ちゃんの胸が深くへこむ。「苦しそう」
豊島さんらは呼吸を助ける器具で手当てを始めた。 
 「一番心配された状態ではないようです」。
豊島さんの言葉に、赤ちゃんを抱いた母親が嗚咽(おえつ)を漏らす。

赤ちゃんは呼吸が荒く、急いで人工呼吸器を着ける必要がある。

保育器に入れられNICUへ向かう我が子に、母親は分娩台から手を振り続けた。

    専門医、病院に年100泊 人手足りぬ地方の拠点
  体重千グラム未満の赤ちゃんが生まれる割合が全国一(06年)の青森県。
10月、県立中央病院(青森市)のNICUのそばの壁に、網塚貴介・
新生児集中治療管理部長(48)の勤務表が張ってあった。

  7月8回、8月9回、9月8回。当直を示す「○」がほぼ3日おきに並ぶ。
年間約100日、病院に泊まる計算だ。時間外勤務が215時間に達した月もある。

  大学が医師を引き揚げるなどしたため、今年3月までの半年間、定員5人の
NICUの医師は、NICU経験が1年未満の3人と網塚さんの計4人だった。 

 新生児の場合、24時間、呼吸や血圧などの細かい変化を読み取り、
処置しなければいけない。常に気が抜けない。

網塚さんは「新生児の治療は全力疾走でつなぐリレーじゃなきゃいけない」
と思う。

  全国最悪だった青森の新生児死亡率はここ10年で上向いたが、
現場の負担は限界だ。網塚さんは「地方の大きな問題は専門医不足」と言う。 

 夕方、NICUに入院中の赤ちゃんに、同病院の産科を退院した30代の母親が、
数十キロ離れた町から夫と会いに来た。看護師に保育器から出してもらった赤ちゃんは、
人工呼吸器を着けたまま、父の胸に抱かれた。

 体重千グラムあまり。母親は赤ちゃんの小さな5本の指に自分の人さし指を握らせ、名前を呼んだ。父親は「願いは、元気に帰ってきてほしいということだけ」

 緊張感が漂うNICUに穏やかな光景が同居した。

  この夫婦が4年前に授かった最初の子も千グラムに満たなかった。
県内の別のNICUに2カ月間。助からなかった。 

 「新たな赤ちゃんの搬送があれば、転院をお願いするかも」
面会の数日前、網塚さんは夫婦に告げた。  

大きな病院がいくつもある都会と違い、県内に総合周産期母子医療センターはここ1カ所。
未熟児やリスクの高い妊婦の受け入れを求められたら、何があっても受けざるをえない。

しかし、NICU9床、GCU15床は慢性的に満床だ。
状態が安定したら地域の病院に送り返し、ベッドを空ける。
そうしないと次の患者が入れない。

  新たな赤ちゃんが運ばれてきて、走り回る医師と看護師。

頻繁に鳴るPHSの着信音に緊張が走る。  
「ああ、人手が足りないのかなと思う。当事者になってみないと分からなかった」
と母親は言った。

2週間後、赤ちゃんは地元の病院へ。体重はいま1700グラムになった。

  深夜、照明を落としたNICU。当直の網塚さんは保育器を一つひとつ見て回った。
黙々と採血をし、水分量をチェックし、記録した。

  これほど大変な新生児科医を続けている理由を聞いてみたいと思った。
「悔しい」。網塚さんはポツリと話した。


「医師がもっといれば、もっといい医療ができるのに」
全力でリレーをつなげる日がいつかくる。そんな日を夢見ている、と。  

10月、NICU経験者が入り、医師は5人に。
でも、年明けにはまた1人減る。  呼吸状態が不安定なことを知らせるセンサーが鳴った。
網塚さんは落ち着いて保育器に近づき、両手で赤ちゃんの背中を優しくさする。

しばらくすると、正常に戻った。
「ここにあるのは声なき声。それを聞こうとする世の中になってほしい」

  保育器の中で、静かに眠る赤ちゃんが、泳ぐように小さな手足をばたつかせた。  
 (武田耕太) 
///////////////// 


 この翌年から青森の5人をはじめ。
新生児科医を目指す先生達と出会いと別れがあったり、

上記の記事の中で搬送を受け、生まれた女の子の健やかな成長を
見守らせていただいたり、月日の流れを感慨深く感じます。

青森や神奈川のそれぞれの課題やその改善は下記の3つの本の中でも
書き残されている気がしました。

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救児の人々 ~ 医療にどこまで求めますか (ロハスメディカル叢書 1)


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そして、さらにこの続きは
に書いてある気がします。神奈川こどものことも出てきます。

こちらも多くの方に読んでいただき、一緒にこれまでと今を実感し、
これからを一緒に考えてもらえたらと思います。

昔、網塚先生に紹介されたケミストリーの
「約束の場所」という曲があります。
という歌は心を温かくしていただいた気がしているのですが
みんなで目指したいと今も改めて感じるNICUで働く人たちに
共感する歌かもしれないと思います。

この曲のようにNICUに集っている人たちのそれぞれの夢を諦めずに、
自力を尽くしつつ、連携して未来を目指していけたらと思います。

御意見ご感想、いかがでしょうか?


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Posted byNICUサポートプロジェクト

Comments 12

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かのんママ  
No title

この記事を読んで、私が転院する時のことを思い出しました。
何となく破水かもしれないと心配になり、念のため行った大学病院。この2日前にも検診に行っていたので、きっと大丈夫だろうと思っていました。先生も「とくに異常はないんだけど」と言っていたのですが、匂いと毎朝あることを告げると、 一応検査入院で様子をみることに。
病室に行く前に、もう一度内診したら、「やっぱり破水してる!うちの病院じゃ、週数が早いから産めない。」と言われました。
そこから、バタバタと色々な人達が動き出し、「今から転院先を探しますが、県外になるかもしれないです。」と言われました。
1時間後やっと転院先が決まったのが、神奈川こどもでした。
先生は「ここでダメなら、県外でした。」と言っていました。
私は運が良かったんだと思います。
今は昔よりは医師や看護師さん、ベッド数も少しは増えてきているかもしれませんが、運ばれる人も増えていると思うし、まだまだ産科や、新生児科は大変なんだという現状を世間にもっと知ってもらうことも必要だということを改めて感じました。

ami*u*at  
No title

豊島先生、当科のブログのご紹介をありがとうございました。約束の場所!!!懐かしいですねー。そんなお話しをしたこともありましたね。今さらながらこの曲を聴き直すとなんか泣けてきます。この曲のことはすっかり忘れていたので、ちょっと不意打ちをくらった感じです。青森はお陰様で大分良くなってきましたが、まだまだトンネルの中にいる施設も沢山あると思います。なんとか少しでも力づけることができればと思っています。先生の高知訪問のご報告も楽しみにしています。

あいらママ  
No title

豊島先生、こんばんは☆
紹介されてる三冊の本も読み、そして我が家にもあるのですが『救児の人々』は実にリアルで衝撃を受けました。
網塚先生の紹介されたCHEMISTRYの『約束の場所』今度外来でも聞いてみようかなと思います~(*^_^*)歌詞もいいけど、特に堂珍さんの声はいいですよね~。なんか懐かしいような☆
患者の一人ではありますが、いつも宿題を持たせてくれるような『先生』です。お忙しいのに、私たち家族の気持ちをくんでくださり寄り添っていただいていつもありがたく感じています!とてもいい方たちに囲まれて幸せに感じる日々です。
網塚先生のブログで、高知の『長宗我部元親像』うちのパパも、これはシャア専用ゲルググで、昔ガンプラの箱の表紙だたと喜んでいました☆
先生方の弾丸旅日記は、あまり外に出歩かないでいる私たちにとって楽しみの一つでもあります~。

ベビマ教室川島幸  
No title

5年前の記事に当時のNICUの現実を知り、
以前会っていたお子さんた達が、多くの方達の思いと行動にに守られたかけがえのない命であることを感じとても感慨深かったです
人は生まれてから空へと変えるまで、その人生の長さにかかわらず多くの人に出会い、支えられ助けられ、守られ、生きているのだと
今ある幸せの瞬間は、多くの人の思いや願いが守り作ってくれたものなのだと
先生の記事を読みながら感じていました
そして、今の私に出来る事をこれからも考えていきたいと思っております
人として、子ども達の未来を守る大人として、1人の母親として、命の重さを多くの子ども達から教えてもらった人として
私に出来る事はとても小さなことかもしれませんが、その小さな思いが集まり、いつか命の最前線にいる方達の力に少しでもなれる事を信じて
最後に先生のブログとの出会いを私にくれたあいらちゃんママと、
その出会いに導いてくれた私の心を支えてくれている子ども達とお母様たちにとても感謝しております。ありがとうございました

NICUサポートプロジェクト  
No title

かのんママさん、体験談書いてくださりありがとうございます。私も当時を思い出しました。この新聞記事は特別な人たちの話しではなく、NICUにくる人たちの共通の経験や想いにつながっていますよね。<今は昔よりは医師や看護師さん、ベッド数も少しは増えてきているかもしれませんが、運ばれる人も増えていると思う>と一緒に考えてくださりありがとうございます。こういう言葉は元気や勇気をくださる気がして感謝です。人数増えたら財政難でまた、人数減らしたり、時間外労働は払えない、、、という年度末で意気消沈している、、、退職者がたくさん出てしまうのではないかと思える年度末です。昔と違った悩みがたくさんあり、この部分を戦略的に解決策を考えないといけないし、社会の多くの人たちと<小児病院が働く人たちに給料を払えないという財政難>になっている要因を考え、どうしたら患者さん達への診療のレベルを維持しながら、働く人たちが
辞めずにすむ状況をあきらめずに考えていけたらと思います。

NICUサポートプロジェクト  
No title

網塚先生、<約束の場所>は私は時折、聞いていますよ。<自分が例え死んでも、夢を引き継いでくれる誰かがいるはず>という歌詞などは後輩世代の人たちと付き合う大切さを感じたりもしますね。<トンネルの中にいる>というのは神奈川もまだまだ感じている部分です。他県の新生児科医の育成をしつつ、神奈川県で新生児科医になろうという人たちも増やしていきたいと思える最近ですね。

NICUサポートプロジェクト  
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あいらママさん、メッセージ嬉しく感じました。青森、神奈川こどもが登場する上記の3冊の本読んでくださり、ありがとうございます。一番最初に出版された<救児の人々>の衝撃度は自分たちも感じていて、こういう想いをみんながしなくていいNICU、NICU卒業後を目指している気がします。だんだん、良くなっているとその他の2冊の本を読みつつも感じていけたらと思います。あいらママさんと同様に、在宅医療しているとなかなか出歩けないから出張の様子で一緒に旅している気がして嬉しいと言ってくださるご家族も私の周りには多く、
掲載し続けています。3月末に高知に私もいくので網塚先生に続いて高知旅日記を書きますね。<県庁おもてなし課>という3年くらい前の小説は高知に行きたくなる小説でした。

NICUサポートプロジェクト  
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川島さん、心をお寄せくださり、素敵なメッセージを頂き、ありがとうございました。今後ともご感想などお寄せいただければ嬉しく感じます。

ami*u*at  
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豊島先生、おはようございます。今回の講演では「地域症例の経験知の還元なくして地域医療の発展はありえない!」とも述べました。神奈川県の患者さんの診療に携わることによって診療水準の向上を目指す我々ですので、この点に関しては矛盾していることになります。そう言う意味では今後、神奈川県自体の新生児医療の水準の底上げと言う点でも研修のあり方を考えていく必要がありそうですね。

NICUサポートプロジェクト  
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網塚先生、「地域症例の経験知の還元なくして地域医療の発展はありえない!」という言葉はそうですね。神奈川の現状の矛盾<経験を積める場所を他県の新生児科医で維持している>状況は綱渡りが続いているような感覚を持ち続けている自分です。今年から小児科からのローテート研修医の指導医を志願したのもそういう矛盾への自分なりの改善行動と思っています。一方、最近気づいたのは全国から派遣していただく精鋭の新生児科医の中に神奈川県の若手を交じらせることはうまくはまれば英才教育につながるのではないかと思っています。
<育成と補強>のバランスを考えたチーム医療作りを考える最近ですね。青森のように志と技術の高い若者達が生まれるNICUになればと思っていますので、今後ともご連携くだされば幸いです。

ami*u*at  
No title

豊島先生、おはようございます。僕も同感です。やはり神奈川こどもにも神奈川県内の医師の研修を組み込んだ方が良いんじゃないかと思います。そうしないと勿体ないです。
ところで、当科のブログに「新生児医療は四本足の椅子」と言う記事を先日アップしました。以前からお話ししていたことです。是非、ご覧いただければ幸いです。
http://aomori-nicu.jp/2367

NICUサポートプロジェクト  
No title

網塚先生、「四本足の椅子」の話しは名言ですね。質向上プロジェクトでも伝えさせていただいております。上記のブログをどこかで本文で改めて紹介させていただきますね。